憲法記念日に憲法カフェ スタート♪

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あまりにも天気がよかったので、予定していた街中の高瀬カフェでの開催を変更して、青空の下の田んぼカフェで、心地よい風に吹かれながら開催しました。毎度のことながら、二日前という急な思いつきにもかかわらず、7名が集まり、ちょっと特殊なアプローチで憲法について考えました。

第一回はなんといっても憲法前文です♪

これは一般的にわかりずらい文章とされ、実際に様々な私訳(現代的表記)が今日までに試みられてきました。確かにそうしたものを読んでみると、内容自体はわかりやすくなっているのですが、何かが根本的に抜け落ちている、といわざるをえません。それは原文の文章としての構造を解きほぐし、わかりやすく編集し直して、ようするにすべてを「意味」に還元して再構成していることからくる違和感なのでしょう。

私見では、憲法前文の醍醐味は音読にあります。耳で聞くことで意味を超えた特別な何かが、意識にスイッチを入れてくれる、そんな感覚があるのです。簡単にいえば、それは祈りの言葉であり、神道でいう祝詞(のりと)のような神聖をおびているような気がするのです。

もっとも、今回参加いただいた弁護士のS氏のいう「憲法前文はとても人間臭さがあって、天皇を神とみなした過ちを徹底的に反省し、未来永劫二度と戦争を起こさせないための人間としての決意がひしひしと伝わってくる」という感覚も十分正しい見解だと感じます。

ここで大切なのは、当時の戦争ですべてを失った日本人が、丸裸の状態で世界に信頼をおき、一切の武力を否定することで、世界平和に臨むという、世界から見たら離れ業ともいえる精神性で日本国憲法を問うたことにあります。その経緯に確かにマッカーサー草案というものがありますが、だからといってこれが押しつけだからいけない、という性急な今日的都合による論理性を語るのではなく、むしろそれを受け入れた当時の思い、反省の深さ、未来への誓い、そして祈りをしっかりと感じ直す必要があるのです。すると、むしろこの人間くささが実は深い神性をおびていることを感じてきます。

そんなわけで、ここでぜひ提案させて頂きたいのは「毎朝一回、憲法前文を声に出して読む」という習慣を身につける、ということです。先人の深い決意が細胞を奮い立たせ、意識がすっきりし、清らかな気持ちで一日をスタートできること請け合いです♪

先ずはお試しあれ!

日本国憲法前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

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