天才ゴダール、世界と決別!

この感覚をどう言葉にしてよいかわかりませんが、今朝、彼の訃報を見て、しかも91歳にしてのほう助自殺と知って「なるほどな」という感慨と納得とが直観的に訪れました。

ゴダールは私にとって特別な存在でした。

幼いころ(10歳)から映画監督を志していた私はその夢を実現すべく18歳で上京し、当時世界最大の映画館都市であった東京で古今東西のあらゆる名作映画を観まくるところからスタートし、ゴダールの「気狂いピエロ」で頭が吹き飛ばされたのでした。「美的体験」と後に理解する衝撃はすさまじく、2週間は言葉が見つからないまま呆然と過ごし、ついには映画監督への道との決別を選択するに至りました。それは決してネガティブな選択ではなく、より大きな芸術探求の道へと私を目覚めさせ、受験大学も変更して美学科のある大学へ転向させたのでした。

こうして、私たちが普段認識している世界とは何か、感覚とは何か、そもそも自己とは何か、世界観を変容させうるこの芸術という表現、創造とは何か、様々な問いをもって世界に対峙する感性教育の突破口を開いてくれたのが、ほかならぬ無双のゴダール映画だったのでした。

遺作となった2018年の「イメージブック」も劇場で拝見しましたが、処女作から変わらぬ一貫した美学が敢然と輝いていたことに驚嘆したのは、いまだ新しい記憶です。

彼の作品は、そのテーマは、それぞれのシーンは、決してひとつの意味へと収斂させない正しい配慮が常になされています。

私たちは世界を理解し、不安を拭い去るために、つい物語を求めてしまいがちです。生起する出来事に対して何らかの物語を与えることで、その出来事をわかったつもりになりたい、いわば防衛本能です。そして人間のその防衛本能を巧みに利用して、わかりやすい物語を与え、あるいはニセの物語を与えることで、人々の意識にフィルターをかけ、生成するリアルな世界から隔離し、人々の意識の在り様を支配しようという力が近現代に生じた権力の特殊性なのでした。

この問題に敏感だったゆえに、制度としての夢物語を量産してきたハリウッド映画に「NO」を突き付けたのが、ゴダールを中心としたフランスのヌーベルバーグ運動だったのです。

そのゴダールが、91歳という高齢に達して自ら世界との決別を選択した・・・彼が決別せざるを得なかった「世界」・・・フェイクや茶番で満ち溢れ、もはや悲劇にも喜劇にもならないこのお粗末な物語に満ちた世界に、いまなお私たちは生きているという現実、その重みを改めて認識させられたジャン=リュック・ゴダールの訃報でした。